「言う」と「云う」
「言う」と「云う」の違い。
京極夏彦を読んでいると普通に「云う」と使われていたので、昔考えたり人に聞いたりした。
その時は「謂う」は考えなかった。
「言う」の「言」という漢字。これは「言葉」の片割れ。「言葉」は「コトノハ」と読む事ができる。これを丁寧にするために「御」をつける。すると「御言葉」となる。読みは「オコトバ」ではない。「ミコトノハ」
「ミコトノハ」は「命の端」と書ける。この辺りは、言霊のレベルの話になるんだろうか。よく解らない。「命の端」なんだから自分自身の命の端っこ、一部だ。言葉とは自分自身の命の一部を指しているのだと思う。
きっと「言う」という言葉には、発言者の意志が込められている事を示しているのだろう。
「云う」については、正直よく解らないのだけど、「伝える」の人偏が無いバージョンだ。
「伝える」は自分以外の人間が、自分の意志を第三者へ届けるという事だと思う。これを間に挟むのが人でなければ「云う」になるのかなと。意志は特に無く、情報のやり取りといった感じかなぁ。
用法的には「TVが云ってたよ」みたいな。
「謂う」って何でしょうね?「いわゆる」を漢字変換すると「所謂」になる。これは思いっきり漢文チックで、古典風になおせば「謂うところの」となるのかな。印象としては「〜って先生がいってたよ」といった感じ。「云う」を少し具体化させた様に感じます。
ただただ、自分で考えたり人に聞いたりしただけなので確証は何もありませんが、多分こんな感じではないでしょうか。