「自信をもって云々」で持つものは自信ではない

「君は正しい!だから自信を持ってやればいい!」
こんな事を今までに言われた経験は何かしらある人は多いように思う。
しかし、こんな事を言われる時は周りの人が見ていても解る程に自信の無い時で。そんな時に自信を持てといわれても、どうやれば自信が持てるのかを考え出してしまう。

こういった状況では、大体先に不安要素が見えている。こうした際にはこうなるだろう、それはこう拙いだろう、といった具合。しかし、それでも自分のアイデアや行動が間違っているとは思えなくて悩んでしまう。それを回りにさとられて、冒頭の言葉を言われる。「自信をもて!」と。

多分、最後は怒り出すのではないか。この状況でどうやって自信をもつんだ!お前も同じ立場になってみろよ!と。よくある話だ。

最近は、この最初の「自信を持て」が間違っているなと思う。正しいという判断は助言者の物で、大勢の人に聞くと小数はの可能性はある。そうではないかも知れないけれど。

こういう場合にかけるべき言葉はきっと「勇気を持ちなさい」だと思う。間違っている可能性はある。実力不足の可能性はある。しかし、その負の可能性を抱えたままやってみる勇気を持つ事が非常に重要な気がする。能力の不足等による実現不可能性は自分が一番よく知っている。そこに恐怖する事で努力して、能力を伸ばす事が出来る。というか、恐怖で努力せずには居れないだろう。

なんにせよ、出来ない事を知りながらも「やります!」といってチャンスを得ないと、何も話が始まらない。成功は勿論、失敗してバッドノウハウの蓄積も出来ない。まずはステージに立つ必要があるだろう。

自分では出来ないかも知れない、そう思いながらもやると言い切る「勇気」が非常に重要だし、有効だ。
派遣系技術者をやっていると、そんな事を思った。